先日ここで書いた、
「カサンドラな妻」の告白
の続きの記事が掲載されていたので読んでみました。
以下引用です。
「私が連日の睡眠不足で少し休む間、『子どもを見ていて』と頼んだのですが、ただ見ているだけで、おもらししてもそのまま放置していました。夫に頼んだことが、ちゃんとなされたことは、一度もありません。
突然怒りだすことが、よくありました。夜泣きがひどいときに、子どもを抱っこしている私を夫が押して転ばせたり、窓ガラスに押しつけてくることもありました。泣き声がうるさい、眠れないと、突き飛ばされたりすることもありました。
「『子どもを見ていて』と頼んだのですが、ただ見ているだけで、おもらししてもそのまま放置していました。」
と言うところ、まさにASDって感じですね。
普通の考えでは全く理解できないのですが、こういう人は
「泣いたらあやして」「オムツが汚れたら変えて」「お腹すいたらミルクを作って飲ませて」
と、あり得るパターンを想定して1つ1つ具体的に指示をしないとやってもらえないのですよね・・・。
記事の中で、結婚後の豹変と異常な無関心の理由について、こう解説されていました。
「結婚を機に態度が変わるのは、妻が他人ではなくなり、自分の延長線上のものだと捉えるようになるためです。自分が思っていることは、当然妻も思っているし、自分が心地いい状態は、妻も当然心地いいと思うのです」
「妻は出産すると『母親』になりますが、夫は母親としての妻に戸惑います。自分に父親としての立場が生じたことがピンとこないのです」
初めて知りましたが、ASDの人が結婚すると、相手に対してこういう風に思ってるんですね・・・。
でも、相手が自分の延長線上だと思うなら、なんで自分の部屋にずっといるのか・・・一緒にいればいいのにと思います。
変化についていけないというのは、そうだろうなぁと思います。
綾子さんはその後離婚し、自力で回復したそうです。
ここ酷くないですか?!離婚して正解ですよ。
綾子さんは、お子さんの発達障害が判明する前から、離婚についての話し合いをしていた。当初、夫の両親はお子さんの親権を欲しがっていたが、発達障害の診断がつくとすぐに「あー、そう。じゃあ、さようなら」と手のひらを返してきたという。
それにしても、やっぱり子供を持つお母さんは強いなぁと思いました。
カサンドラで苦しんでいる人は、どうか自分を見失わず、自分を大切にしながら生きて行ってほしいを思います。